特定非営利活動法人国際ボランティアセンター山形

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カテゴリー: 日々日常
著者: ivy
再び駐在員のMです。
カンボジアという今まで縁のなかった国に赴任が決まったとき、「やばいな~、歴史を知らないな~」と思った。
かすかに残る記憶にあったのは大昔に見たアメリカ映画「キリングフィールド」ぐらい。
さてここで行く前に勉強しておくべきか、しないでおくか。
私はあえてしないでおくことにしました。(まあその時間がなかったというのもあるけど。)
なんとなく、まっさらなままで現地に行きたいなと思ったからです。
NGO活動というのは、もちろんその国の歴史的背景も多いに関係はあるのだけど、相手にするのは政治家でも研究者でもなく普通の人たち。死んだ人々ではなく、今ここで目の前で生きている人々。
そして私たちが作り上げていくのは「これまで」ではなく「これから」なのだから、自分的にはあまり過去に引きづられて感傷的になりたくないな、と思ったのです。きっと行く前に当時の本なんか読んでしまうと「こわい!」という気持ちでいっぱいになってしまって、カンボジアに着いても「ここでああいうことがあったんだ~」「あの人はポルポト時代どうしてたのだろう」とよく言えば好奇心、悪く言えば先入観でいっぱいになって、どうしても色眼鏡で物事を見てしまうだろうな、と思ったから。
それに一緒に働くスタッフたちの多くは30台前半。ポルポト時代の影響をあまり受けずに育ってきた彼らと同じ感覚を持っておきたいと思ったからです。避けるでもなく固執するでもなく、自然な日々の生活の中での学びにまかせようと思っていました。たぶんカンボジアの若い人もそうやって学んでいくのでしょうから。

そして先日。Ms.A、こと事務局長のAさんを首都に送る車の中で、ローカルスタッフと運転手と4人でカンボジアのある歌手の話をしていました。
運転手:「すっごくいい歌手で国民に愛されていたけど、ポルポトに殺されたんだ」
私:(そうか~、彼の歌を聴くたびにみんなは悲劇を思い出すんだろうな。)
運転手:「僕のお父さんも殺された。6歳のときで僕は覚えていないけど。」
私:(えっ、彼確かまだ30台前半のはず。そうか、親の世代がその世代なんだ。親類が殺されたというのは聞いたことがあるけど、実の親が、というのは初めてだな。)
私:「お父さんの職業は?」
運転手:「professer」
Aさん:「えっ?producer?」
運転手:「違うよ、プロフェッサー(大学教授)!」
スタッフK:「Aさん、プロデューサー(農業生産者)だったら殺されないよ!」
一同大爆笑。

Aさん、どうも毎日毎日「プロデューサー」という言葉を仕事で使っているうちにそう聞こえてしまったらしいです。
というわけで深刻な話題のはずがなぜか笑いで終わり、また車の中では次の話題に移っていきました。
そう、ポルポト時代には文化人やインテリが殺されたんだよな~。
でも少なくても若い世代はその時代のことを笑い飛ばすこともできる。それにはなんとなく救われた気持ちになりました。
(M)



カテゴリー: 日々日常
著者: ivy
IVYの活動地、スバイリエン州は地図で見ていただければお分かりの通り、突き出した形でベトナムに接している。
首都プノンペンまで3時間かかるのに、ベトナム国境には45分で着いてしまう。
このベトナム国境の町、バベットが今すごいことになっている。
「カジノとかがあるのよ」とは聞いていたが、正直スバイリエンにカジノとは想像できなかった。
しかし本当に存在したのである。何もない田舎道を走り続けて30分もすると、ど~んとこの地区の開発をうたう大きな看板が出現。その名も「マンハッタン(スバイリエン)」!(このネーミングには昔マンハッタンに実際に住んでいたことがある身にはなにやら因縁じみていて、見るたびに苦笑いしてしまう。)
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不毛の地に突然現れるカジノ、バベット。ここではここ数年で主に中華系資本らしいがすごい勢いで開発が進んでいる。工場が続々と立てられ、国内、国外の富裕層を対象にしたカジノやホテルが建築ラッシュを迎えている。周りの農民たちは土地を売却したことで一儲けし、いかにも「お金が入りました!」的な豪勢な家が次々と建てられている。しかし耕す人がいなくなった周りの農地は時おり牛が放牧されているだけで、人気もない。ここでは田んぼも見られない。
一方この町の市場で売られているのは99%がベトナムの野菜で売り手もベトナム人、行きかうお金さえもベトナム貨幣。
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工場やカジノは確かに雇用を生み出す。事務所の掃除をしてくれるパートのおばさんの子供4人のうち二人はここで働いている。もちろん農村からの出かせぎも多い。
スバイリエンは将来農村地ではなく、バベットに安い労働力を供給し、バベットに依存するだけの地になってしまうのではないだろうか。スバイリエンの人たちは将来スバイリエンがどうなって欲しいのだろう。帰り道、車からもの寂しい農村の風景を見ながら複雑な気持ちになった。 (M)

02月01日: 「感無量」

カテゴリー: 日々日常
著者: ivy
IVY試験農場
先日IVYにとってはなつかしい訪問者がありました。2003年7月から3年間に渡って行なわれた「持続可能な農業を通じた女性による農村開発プロジェクト」の農業マネージャーだったYさん(現在はJICAのフィールド調整員)がカンボジアに赴任した海外青年協力隊の村落開発員の若者三名を引率して、離任以来初めてスバイリエンを訪れたのです。町や村のいろいろな光景や人を見てはしきりになつかしがっていました。
前任者からの正式な引継ぎがないまま突然ここにやってきた私は「前にいた人たちはよく3年もこんなところにいたなぁ」と正直言うと内心思っていました。でもYさんのなつかしぶりや思い出話を聞くと「そんなに悪いところでもないかも」と思えてきました。ここで3年近く、大きなプロジェクトに関わってきたYさんがその3年間を振り返る言葉には一言一言に重みがありました。彼女や当時のプロジェクト・マネージャーらがときに迷い、悩みながら三年間様々な努力を積み重ねてきた。だから充実感を持ってその時代をふりかえることができるんだろうな、と思いました。
特に印象に残ったのが、村で組合の代表の女性たちが集まってミーティングをしている様子を視察していたときのYさんの言葉でした。野菜の出荷量や収益、またその中からの組合への積立額などを村ごとに代表の女性が20人ほどの参加者の前で発表し、また技術指導担当者の女性がたい肥づくりのデモストレーションなどをしていました。女性たちの生き生きした様子を見ているだけで、IVYの農村での活動がうまくいっているんだな、よかったな、と思える瞬間です。前プロジェクトでは女性の組織化が主な活動でしたからYさんには見慣れた光景かと思いきや、その様子を見ていた彼女がしばらくして「感無量だな~」とつぶやいたのです。Yさんの時代は組織化は出来たけれども見える形でその成果が出せなかった。けれど今や女性たちは売上げの数字を話している。野菜出荷というビジネスを通して、ようやくその成果が見える形で出てきたのです。今のこの女性たちの活躍は、Yさんたちが三年間苦労して作った土壌の上にようやく生まれでた芽なんだな、そう思うとその言葉を聞いた私の方も「感無量」でした。
Yさんたちの時代に培われた農村の女性のエンパワーメント。後からやってきた私はついついその上にあぐらをかいてしまいがち。でもYさんらの三年間の重さに思いをはせ、改めて引き継ぐ者の責任の重さを感じた一日でした。
たい肥づくりの説明をする女性組合員