10月15日: IVYの事務所に新しい顔

日本に18日間ほど帰っていました。毎日いろいろやることがあって、もうちょっといたいな~と後ろ髪を引かれながらカンボジアに戻ってきました。スーツケースを車に積んだまま、事務所に戻らず、野菜共同出荷事業のリーダー研修の行われている村に直接向かいました。私が離れる前はちょうど田植えの時期でしたが、今は青々とした田んぼがどこまでも広がっていました。村の女性たちのいきいきと様子もいつもどおりでした。久しぶりに見たスタッフも充実したいい顔をしていました。こういう風景を見ると、うん、今はやっぱりここが私のいるべき場所なんだな、と感じます。
ところで今日は事務所に新しい顔が登場しました。コミュニティー開発チームで抜けたスタッフの代わりに、なんと村の女性組合委員(女性組合のリーダー。村に数人いて選挙で選ばれる)の女性をパートタイムのスタッフとして雇うことにしたのです。チャリヤさんといって20代の一児の母です。(写真上、中央)
頭良し、器量よし(というのが私の判断)、性格良し、でスタッフのイチオシで決まりました。受益者が突然支援者になったわけですが、スバイリエンを拠点とするIVYにとってはそんなに驚くようなことではありません。なぜかというと、スタッフの中でも地元の村出身の人が実は多いからです。実は高卒のスタッフもたくさんいます。私の観察では地元、それも農家出身のスタッフは地元のために貢献したいという意志が強く、私自身そういう彼らの気持ちを応援したいな、と感じます。高い能力を武器に高給を求めて仕事を渡り歩くプノンペンのNGOスタッフよりも、愚直な地方のスタッフに私は親しみを感じます。それででは地元で誰か雇える人がいるか、と考えたときに思い浮かんだのが女性組合の委員の女性たちでした。彼女たちの勉強熱心さ、理解能力の高さにはいつも感心させられてきました。もし機会さえあれば、もし時代や状況さえ違ったら、私なんて足元にも及ばない、ものすごい優秀な人材として社会で活躍していたんだろうな、と思われる女性たちが何人かいました。この選択に私に直接ではありませんが、異を唱えるスタッフがいなかったわけではありません。住民は外部者のNGOスタッフの話は聞くけど、同じ住民の話は聞かないのでは、と。でも本当にそうでしょうか。そしてもしそれが本当だとしたらそれでいいのでしょうか。実際今週の研修でそれを試す機会がありました。初めに野菜共同出荷活動が始まった村からマネジャーの女性にゲストとして新しく活動を始める村に来てもらい、話をしてもらいました。みな真剣に彼女の話を聞き、「質問は?」と促すまでもなく、たくさんの質問が投げかけられていました。
さてチャリヤさんの事務所出勤の初日。お昼はどうするのかしら、と思って他のスタッフに確認すると「彼女のお父さんが来ているから」と言う。なんと女性が初出勤するときは、最初の数日は父親が送り迎えするそうだ。「カンボジアではそういう文化なのよ。私もそうだった」と女性スタッフ。なんと過保護!変な男に目をつけられたりしないように、ちゃんと父親が見張ってるぞ、ということを示しているのだろうか。
そう、チャリヤさん、ちゃんと挨拶で「地元に貢献したい」と言っていました。スタッフの話では、出稼ぎだと村を離れないといけないけど、IVYで働けば村を離れずに同じかそれ以上の収入を得れるので、家族も喜んでいるとのこと。たった一人ではあるけれど、村に雇用も生み出したことになるんですね。能力があればNGOのスタッフにもなれるんだ、と農村の女性たちが思ってくれる、そんなロールモデルにチャリヤさんがなってくれればいいな、と思っています。早速携帯電話も購入し、英語も習い始めたそうです。やる気まんまんですね。
(M)
10月12日: おばちゃんの一言にドキリとする。

女性組合のリーダー研修を視察してきた。
朝8時半から午後3時半までの研修5日間に付き合うのは私にとって少ししんどい。ビニールシートをひいたコンクリートの上に長時間座っているとお尻と腰が痛くなるし、農村では頻繁にトイレに行きにくいので水分を取るのもひかえめにしないといけない。しかもこの研修は今回の野菜共同生産・出荷プロジェクトには直接関係していない。それでも研修を見てみたいと思ったのはわけがある。1999年から始まったIVYのスバイリエン州における活動の最大の功績と言えるのが女性組合とその組合の委員たちの女性。この人材がどうやって育成されていくのか見ておかなければIVYの活動について語れない、カンボジアの農村の女性たちについて語れないと思ったからである。
一日目の研修はリーダーについてとファシリテーションについて。
リーダー、つまり女性組合の委員になる素質や資格について、グループディスカッションする場面があった。
あるグループの発表で、「自分たち、自分たちのコミュニティーを信じること」という発言があった。
「どういう意味ですか?」とスタッフを通して聞いてみた。
一人のおばさんが立ち上がって私に向かって説明した。「自分たちのコミュニティーが発展していくと自分たちで信じることができなければいけない。希望を持つこと。そして自分たちにその能力があると信じること。」
つまりhave faith in ourself,in our communityということですね。英語で言うと。もしくはpositivity。大事なことです。
しかしこれを聞いてドキっとした。農民たち自身の可能性を信じること。これってNGOスタッフである自分たちもしていただろうか。「どうせあの村は何をやってもだめだ」とか「農民には無理」とかそんな会話が事務所では時折飛び交っているのは否定のできない事実だ。自分に目を向けると「カンボジア人には無理」「カンボジアはどうせダメだよね」と彼らの聞こえないところで本気では思っていないにしろ、日本人の間でつい口がすべって言ってしまったりしてなかったか?
でも本当に必要なのは、本当に欲しかったのは、彼(女)らが自分たちの力でなんとかしようと思うこと。そのためには彼(女)らが自分たちの能力を信じなければいけない。希望という名の木は彼(女)ら自身が植えなければいけない。私たちのできることはその木に水をやることでしかないのだから。
その場にいた参加者やスタッフは普通にふむふむと聞いていたが、私は自分の母ぐらいの歳のその叔母ちゃんの発言の意味の深さにいたく感じ入っていた。
最近仕事にも少し慣れてきて天狗になっていたかもしれない。おばちゃんたちから、また学ばさせてもらいました。
(写真:昼食はみんなで持ち寄った手料理を囲みます。私が食べてるのを見ると喜んでくれます。)
(M)
10月10日: 女性組合の女性たち

国際支援という形もいろいろあるけれど、個人的に農村開発というフィールドを選んで本当によかったな、と最近よく思います。農村開発で実際現場の最前線に立つのは現地人スタッフ。日本人スタッフはマネジャーとしていろいろな権限を持ってはいるものの、結局は裏方なんだと思っています。私はこの「裏方」というのがけっこう好きだし、性にもあっているんじゃないかと思っています。自分が直接農村の女性たちとコミュニケーションをするよりも、スタッフがやり取りする様子を観察する方に興味があります。(もちろん言葉ができない、というのも大きな理由ですが。)
それでも日本人だ、というだけで目立つ存在であることは変わりはありません。昨日ちょっと驚いた出来事がありました。IVYの活動歴が長く私が二度目に足を運んだ村で、女性組合のおばちゃんが自分から積極的に私に話しかけてきたのです。「彼女(この日本人)はこうなの?ああなの?」とスタッフに聞いてくるのではなく、私の目の前に腰掛け、「私に」直接話しかけてきます。いつカンボジアに来たのか、カンボジアでの生活は好きか、日本でも田植えはあるのか、等々。。
なぜこういう姿が私にとって「驚き」なのか。相手に興味を持って質問する。当たり前のようですが、これは対等なコミュニケーションの取り方なんではと思います。実は私はカンボジアに来る前にカリブにある西半球最貧国ハイチの農村に何度か足を運んでいました。そこの農村では外国人の支援が入ったことはなく、車の通る道からは1時間ほど山道をのぼったところにあり、本当に原始的な生活が営まれていました。ここでは住民はみな一歩下がって外国人である私(たち)を取り囲んでいました。私は片言の現地語を話せたのですが、自分から私に話しかけてくる住民はほとんど皆無でした。唯一声をかけられた記憶といえば、みなの見ていないところでこっそりものをねだられたときぐらいでした。つまりそこには対等な人間関係は存在しなかったのです。またミーティングをしても、常にしゃべる特定の男性がスピーチをして、女性たちは押し黙っているというケースが多かったです。
ところがIVYの活動地に来てびっくりしました。まあなんと女性たちがおしゃべりの好きなこと。ジョークや笑いが飛び交い、ミーティングが始まってもたいていはその雰囲気は続いています。またIVYスタッフとも友達のような雰囲気です。スタッフも参加者が集まるまでの待ち時間に農家の家のハンモッグで昼寝をしたり、家の中でテレビを見たり(!)終始リラックスしています。
そういえばこの私に質問してきた女性の村は一回目に足を運んだときに私が挨拶のスピーチで「野菜作りにぜひ旦那さんの協力も得てください」と言ったら「旦那がいない人はどうすんの」と言われて笑いを取られた場所でもありました。日本人のプロジェクトマネジャーのスピーチに突っ込みを入れる。これは本当に対等意識がないとできないことだと思います。日本人をたじたじにさせるぐらいエンパワーされた農村の女性。これほど頼もしいものはないんではないでしょうか。
カンボジア人女性はもともと明るいのか、何か他に成功要因があるのか、なぜこんなにもハイチと違うのか、その答えはまだ出ていません。カンボジアを離れる前に何か答えが見つかればいいなと思っています。
(写真:いつも明るい女性組合のメンバーたち。去年の研修から。)
