特定非営利活動法人国際ボランティアセンター山形

山形IVY スタッフ便り
カテゴリー: 日々日常
著者: ivy
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5月ぐらいから昼間に与党人民党のカラーのブルーのユニフォームを来た人たちが集まる政党の集会を村のあちこちで見かけるようになり、各家庭の玄関先には人民党の旗がはためくようになった。
この集会、参加者は米やらなにやらいろいろ支給されるそうで、IVYの活動とバッティングしてしまうと住民はそちらに行ってしまう。プロジェクト説明会に欠かせない村長も政党活動で忙しく、「選挙が終わってからにしてくれないか」と言ってくる始末。
国連の選挙監視団が来ているが、今回は暴動や暴力沙汰も少ないようでとりあえず大きな混乱はないよう。(ただし先週野党派の新聞記者が何者かに殺された。)1993年の選挙では野党の活動家が100人殺されたというから、カンボジアの選挙の歴史は思わしくない。
村の木には投票も終わっていないのに「○○さん、当選おめでとう」というポスターが貼られ、既に与党の圧勝は決まったようなもの。とにかくすごい選挙活動の力の入れようなのである。特にIVYの活動地の某村では前回与党への人民党への投票率が低かったとかで、かなり今回は力を入れているらしい。
しかしなんとなくしっくりこない。みな役人が汚職され、公務員の給料は低いのにお城のような家を建てているのを知っているはず。与党に不満はないのだろうか。プノンペンに住んでいる人たちは週末故郷に戻って投票するのだが、このタクシー代も政党のメンバーには政党が出すという。どういうことだ!? カンボジアは貧しいはずなのにどこからそんな資金があるんだ?
スタッフに問いただすと「Party, rich. Goverment, poor(政党にはお金があって、政府にはお金がない)」とのこと。なるほど、なかなか的を得た答え。
しかしこれではカンボジアの発展は見込めそうにない。
そして国民が目先の米や物品にまどわされて投票するのであれば、やはりこれも未来は明るいとは言えないだろう。

写真:スバイリエンの州都を出発する与党人民党の選挙ツアーの車。「若い参加者が多いね」とスタッフに言ったら「若い男女が出会いを目的に参加する」のだとか。
カテゴリー: 日々日常
著者: ivy
IVYと言えば女性組合。農村の女性のための支援。
「女性」というのが長い間IVYの活動の顔でした。
現在のプロジェクトも女性組合員が野菜出荷を通して収入向上と女性組合の資金作りを目指す、というもの。
何からなにまで女性、と思いきや、実はこの事業には「彼女らの夫」という影の立役者がいるというのが最近分かってきました。
女性は日々野菜の面倒を見て収穫することはできても、畑の土を耕したり、井戸から水を汲んできたり、有機肥料を作ったりという力仕事はなかなか一人ではできません。
女性が農業研修を受けても、実際家庭で作業するのは夫、というケースが多いらしいのです。そして確かに夫婦で野菜栽培をしているところの方が収穫も多いのです。
また夫が妻の女性組合活動を支えている家庭もあります。乳飲み子を抱えた奥さんが会合に参加できるように旦那さんが家で赤ちゃんの面倒を見て、お腹がすいたときだけ奥さんのところに届けに来て母乳を飲ませ、また赤ちゃんを抱えて自転車で帰っていく、という日本より進んでいる(?)夫婦も見たことがあります。
(このだんなは出産直後の妻の代わりに去年女性組合の研修に唯一参加した男性でした。)
また逆に、夫が妻に「野菜を女性組合に売るな」と言っている、といったケースも出てきました。
「女性のための」という目的で支援をしてきたけど、男性の役割を無視できなくなってきている。さてどうしようか。
では夫もこの際巻き込んでしまおう、というわけで今年度から夫の参加を部分的に認めていくことにしました。
もちろん組合員は女性ですが、説明会や研修に夫婦ともに、もしくは都合が悪くて出席できない妻の代理として夫に出席してもらうことにしました。これは団体として提案する以前に村の住民自身が希望する流れだったようで、特に招待しなくても一部男性が自然に出席するようになってきました。
ただ単に男性にプロジェクトに参加してもらう、というのではなく、男性に女性のためのプロジェクトに参加してもらう。
女性たちのために、男性にも動いてもらおう、という流れになってくれればいいな、と思います。
今のところ、男性が少数派なこともあるのか女性たちの態度はいつもと変わらなく、男性もグループディスカッションなどを楽しんで行っているようです。

(写真)
上:ディスカッションの結果を妻たちの前で発表する男性。
下:プロジェクト説明会に集まった男性たち。中央はIVYスタッフ。

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カテゴリー: 日々日常
著者: ivy
赴任して4ヶ月が過ぎました。私の契約期間の6分の1があっという間に過ぎてしまいました。プロジェクトのこともようやく把握できてきたかな、と思ったところでもう既にプロジェクト自体残すところ約1年半。既に折り返し地点です。ようやく1年目の結果を分析し、今後にどう活かせるのか考え始めたところ。4月、5月と野菜出荷事業参加者の組合員に対して行った調査をもとに、スタッフと毎週のように話し合いをしてきました。
しかしふと思いました。スタッフが野菜の生産量や栽培技術の浸透などを事務所で一生懸命議論しているとき、当の生産者たちはどう考えているのだろうかと。聞けば生産者ミーティングでもリーダーミーティングでも特に一年間のふりかえりや次の年の目標設定はしない、とのこと。それではいくらIVYスタッフががんばっても何も変わらないのでは。野菜を育てるのも売るのもスタッフではなく組合員の女性たち自身なのですから。
で急遽今月は実験村4村で野菜出荷メンバーを集めてふりかえりのワークショップを行うことにしました。4村の月ごとの生産量、販売量、組合への収入(利益の15%)と合計のデータを発表。これにメンバーたちは強く反応しました。4村の結果を一緒に見せることで、彼女らの競争心を刺激したようです。「うちの村は生産量は少ないけど、組合への収入は多いわ!」などと満面の笑みを浮かべて模造紙に書かれた数字を眺めています。自分たちのしていることが数字という結果になって出てくることがきっと新鮮な体験だったのでしょう。
そこで今度は今年度の目標設定。実はプロジェクトの始めにも目標設定、というのはされていました。あるときその数値の書かれていた紙を見つけてびっくり。毎日全体で130キロの出荷とか一年に生産者一人あたり100ドルの収入とか現実とはほど遠い数値が書いてあります。聞いたところIVYのマーケティングチームが作ったとのこと。しかしこの目標に向けた行動はどの村でも取られていません。恐らくこの目標値もスタッフも実際にプロジェクトが始まってしまえば忘却のかなたになってしまっただろうし、組合のメンバーたちも聞いていないか、聞いていても現実感なく右から左に聞き流されてしまったのだと予想されます。しかし今回はこの二の舞は踏めません。
ではどうするか。まず目標というのは誰が設定するものなのか。
個人的なことで恐縮ですが、私は日本で学校に通っていたときに「○○をがんばりましょう」と学校側で決められるのがすごくいやでした。人に言われて何かをがんばった記憶がないひねくれ者でした。何かをしましょう、しなさい、と上から言われると、とたんにそれをする気がなくなるのです。でもアメリカの大学に行ったときに、急に誰も私に○○をしなさい、と言わなくなりました。それには一瞬とまどいましたが、私はすぐに自分で目標設定をし、猛烈に勉強しだしました。そういった経験から言わせてもらうと、人は他人の設定した目標は達成しようという意欲が起きないが、自分で設定した目標に対してはがんばる、ということです。

で、話は村に戻って、村ごとの生産者ミーティングで野菜出荷グループの目標設定とアクションプラン(目標達成のために実際にどうするのか)づくり。みな嬉々として話し合いをしていました。「今年はもっとがんばるんだ」という意欲が顔にあふれています。問題点ばかりクローズアップされてため息や沈黙の多い事務所で行われるスタッフのミーティングとは大違いです。なんだ、やっぱりこれでよかったんだと私も安堵の胸をなでおろしました。
本当に目標値(だいたい前年度の1.5~2倍の数値)が達成されるのかどうか、これはまた別の問題でもあります。気候、土壌の状態、市場価格、種の入手、畑仕事の担い手、彼女たちがコントロールできない様々な要因が関わってきます。でもまず彼女たちのやる気。これがなければいくら種があっても芽は出ないでしょう。ここからが今年度のスタートです。
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(写真:ロムデン村のミーティング。右に立っているのが筆者。)
(M)
カテゴリー: 日々日常
著者: ivy
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一週間のクメール正月休みも終わりました。
スタッフたちもリフレッシュしてきたようです。初日みんなが笑顔でいるのでなんだか私もうれしくなりました。(日本だとゴールデンウィーク明けってなんか憂鬱だった記憶があるのですが。)
相変わらずフィールドには出ず書類の山に囲まれてパソコンに向う日々です。あまりにも作る書類が多いので当然スタッフと分担をします。まかせて私が最終チェックを入れる、というパターンも多々あります。するとレポート作成や分析の力のレベルなどがよく分かります。
これはもちろん個人差があることなのですが、こちらのスタッフ新しい知識を学ぼうとする意欲が非常に高いのには驚かされます。乾いた土の上に降る雨のように、私が伝えたことを吸収していきます。当然私なんかが言うことですから大したことを言っているわけではありません。伝えたことが完全に理解されていないときも多々あります。でも彼らの作っている書類を見て「ああ、そういえばこんなこと教えたっけ」とこちらが思い出すぐらいよく彼らは覚えています。
ミーティングが突然英語の授業になることもしばしば。先日も一人がある言葉の意味について質問してきたので「じゃあミーティングが終わってから個人的に教えるから」と言うと、みんなから一斉に「私も知りたい!」という視線が。そこで急遽英語の授業。こういうときのスタッフは集中力もあり、熱心にノートを取っています。私も英語の先生としてやりがいを感じるひととき。。って職務が違いましたね。失礼しました。
ところで「乾いた土」というぐらいですから、何か新しいアイディアを言うと一瞬彼らは固まります。私にとっては当たり前のことなんですが、何か突拍子もないことを言ってしまったかしら、という気持ちに一瞬なります。
例えば現在のプロジェクトは野菜の共同出荷なので当然出荷量や売上げなどの数字が関わってきます。そのデータを取ってくるのは問題がないのですが、そのデータを見やすいように棒グラフや折れ線グラフでまとめて分析する、という考えが彼らの中にはなかったようです。思うに分析好きの日本人はメディアを通して日常的にこうした分析に触れているのですが、カンボジアの文化の中ではそういった習慣はないようで、これにはかなり難儀しました。しかし私も分析好きの日本人の一人。ここは妥協できません。慣れてもらうしかないと毎月のレポートには必ずグラフを入れるようにみなに伝えました。(みな一瞬こわばってましたが。)
そして二ヶ月。グラフづくりに難儀している状態は変わりませんが、そんなに何種類もいらないんだけど、と思うぐらいレポートがグラフだらけに。。毎月のレポート以外のところでもちらほらグラフを自主的に作っているケースが見られるようになってきました。初めてグラフを用いた資料で分析をさせたとき、内容の分析ではなく「どうやってこのデータを入手したか」というとんちんかんな分析をしてしまったことを考えると大きな進歩です。みなグラフを作って何をどう分析するのか、という考えまではいたっていないようですが、とにかく数字を入力してクリック一つでいろいろなグラフができる楽しさにはまっているようです。今年はIVYではグラフがブーム? (M)
(写真:ある日の会議風景)
カテゴリー: 日々日常
著者: ivy
IVYのマーケティングチームが企画した野菜共同出荷グループの女性たちを12人引き連れてのプノンペン視察に同行したときの話。農村で彼女らに会うことはあっても、一泊の視察旅行で24時間を共にするというのはこれまでなかったので、なかなかおもしろい体験でした。
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一日目朝、バンとプロジェクト・カーで村を出発。まずびっくりしたのが、二名が「車酔い」してしまったこと。それも「気分が悪い」っていうんじゃなくて私の隣の隣で袋に思いっきりもどしてました。酔ってもどす人って、そういうば小学校の遠足とかでいた気がするけど大人になってから聞いたことがなかった。やっぱり車に乗りなれていないとそうなるんでしょうか。でもスタッフのKはなぜか袋とトイレットペーパーをしっかり準備してました。「大丈夫?」と車を止めたりもせず、その二点セットをさっさと本人に渡してそのまま車は走り続けました。そう、車といえば車のドアの開け方、閉め方を知らなかったんですね、彼女たち。日本にいたら子供でも知ってますからね。そこから既に私にはカルチャーショックでした。
あとトイレ休憩。「クロマ」と呼ばれる頭巻き、肩がけ、汗拭き、となんでも使える農民には必需品の木綿の布があるのですが、これを腰にかけて隠して用を足す、ということはなんとなくは聞いていました。農村でも「トイレに行く」というと一枚の布を渡されたりします。でも実際には使っているところは見たことはなかったんですね。で、道中トイレ休憩のために車を止めたのはやぶや木があるわけではない原っぱ。どこから見ても丸見えなんですが、さすが慣れた手つきでさっとこの大きめの布を背中にかけて、あっという間に「簡易トイレ」を作っていました。(本当は最後までどうするのかしっかり見たかったのですが、さすがにそこまでじろじろは見れませんでした。)
一日目はJICAのカンボジア事務所で野菜販売をさせてもらいました。事務所の日本人スタッフ、カンボジア人スタッフ、それからプノンペン駐在のNGOスタッフの方などが買い物していってくださいました。漬物などの加工品も「おいしい」と評判でした。
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売れ残った野菜は地元のNGO、CEDACのお店とレストランで買い取ってもらいました。「持ってきてもらえればいつでも買い取るよ」と言っていただけました。首都での有機野菜の需要は高そうです。出荷グループの女性たちにも首都のお客に売れたことは自信になったんではないでしょうか。夜は彼女とスタッフの売り上げ(約$50!)を数える楽しそうな声がゲストハウスで響いていました。
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二日目はプノンペン最大のスーパーマーケットに野菜売り場の視察に行きました。
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さて、ここでまた思わぬ未知との遭遇。そう、グループの女性たちは首都に来るのが初めて、という人もいるぐらいですから、こんな最先端の(といってもイーオンとかのレベルですが)デパートになんか来たことがないのです。で、大騒ぎになったのがエスカレーター!乗るのも降りるのもこわい!手を取って一緒に乗ってあげましたが、数人は階段を選んでました。でも階段もみんなで手を取り合って降りてましたが。。。
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そこで当然エスカレーターにも初挑戦!でもこれはただ乗ればいいだけなので難しくないですね。
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いろんな「初めて」がありましたが、どうだったんでしょうか。実はみんな村に帰ってきてほっとしたんでは。食事もスーパーのフードマートの食べ物は高いだけでおいしくないし。という私もプノンペンの喧騒を抜けてのどかな風景が広がる農村に戻ってくると「家に帰ってきたんだな」という気持ちになりました。すっかりスバイリエンの人になってしまいました。
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カテゴリー: 日々日常
著者: ivy
social enterpriseという言葉がある。
「ソーシャル・エンタープライズとは、基本的に社会的な目的を持ったビジネスで、事業で得られた利益は、株主や事業主の利益を最大限に増やすためではなく、主にその社会的な目的のために、ビジネス或いはコミュニティーに再投資される。ソーシャル・エンタープライズは、幅広い社会問題及び環境問題に取り組むことで、あらゆる経済分野に影響を及ぼす。ソーシャル・エンタープライズは、強力かつ持続可能な、そしてソーシャルインクルージョンを実現する経済の創造において明確かつ重要な役割を果たす。」
出典:英国貿易産業省「社会企業-成功への戦略」( 2002 年)
有名な例をあげるとノーベル賞を受賞したグラミン銀行とか。

前置きが長くなりましたが私がソーシャル・エンタープライズ、それからソーシャルアントレプレナー(社会起業家)という言葉に出会ったのは三年ぐらい前。大阪でホームレスの自立支援のために、ホームレスだけが販売できる雑誌「ビッグイシュー」(もともとはイギリスで始まり世界各国に広がっている)の日本版を発行する会社を立ち上げたSさんを取材したときだった。Sさんは言っていた。「これからは『就』職ではなくて『創』職だ。」この言葉がずっと私の頭の中に強く残っていた。ホームレス支援も彼らに「施しをする」のではなく、一緒に働く。ビジネスの関係。ホームレスの人たちは住所がないため働けない、働けないからアパートが借りれない、という悪循環に陥っていることが多い。雑誌販売の仕事を得て、すごく充実した顔をしている人たちに何人も会った。「働くこと」が与える喜び、誇りについて考えさせられることの多い取材だった。
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そして三年後、場所はカンボジア、職種もNGO職員へと転職した私が、またこの「ソーシャル・エンタープライズ」という言葉に出会った。カンボジアにはCEDAC(セダック)という全国的な大規模な農民組織のローカルNGOがあるのだが、この団体のかなり上の方の人たちの話を聞く機会があった。カンボジアは農業国でありながら、周辺国からの安価な野菜や米に押されて農民は窮地に追い込まれている。そこに一石を投じようとしているのがCEDACの様々な事業だ。プノンペンではCEDACの有機米や国内産の自然食品を売るお店(写真)を経営し、今度はCEDACと契約している有機野菜農家から買い付けた野菜を使ったレストランもオープンした。彼らが口にしていたのが「ソーシャル・エンタープライズ」という言葉。名刺にもそう刷られている。「長い間援助だけをしてきた僕たちは疲れてしまった。これからはソーシャル・エンタープライズを通して農家とはビジネスパートナーとしての関係を結ぶ」とレストランの責任者は言っていた。思わずビッグイシューのSさんを思い出した。カンボジアに来て同じ考え方の人とまた会うとは。。というかきっとこれは世界的な広がりなんだろう。
初スピーチ(左:筆者)
実はこのCEDACを含むプノンペンの視察、IVYの野菜出荷グループのメンバー12人の視察への同行だった。彼女ら以上に私にも刺激的な視察だった。村に帰ってふりかえりを行った後、私のスピーチの番が来た。(実は初スピーチ。)「有機野菜の販売は大きな可能性があります。これまでは農家としての成功を目指していたと思いますが、これからはぜひビジネスウーマンとしての成功を目指して下さい」と締めくくった。さてスバイリエンからどんな「ビジネスウーマン」が今後登場するであろうか。乞うご期待。(M)
カテゴリー: 日々日常
著者: ivy
再び駐在員のMです。
カンボジアという今まで縁のなかった国に赴任が決まったとき、「やばいな~、歴史を知らないな~」と思った。
かすかに残る記憶にあったのは大昔に見たアメリカ映画「キリングフィールド」ぐらい。
さてここで行く前に勉強しておくべきか、しないでおくか。
私はあえてしないでおくことにしました。(まあその時間がなかったというのもあるけど。)
なんとなく、まっさらなままで現地に行きたいなと思ったからです。
NGO活動というのは、もちろんその国の歴史的背景も多いに関係はあるのだけど、相手にするのは政治家でも研究者でもなく普通の人たち。死んだ人々ではなく、今ここで目の前で生きている人々。
そして私たちが作り上げていくのは「これまで」ではなく「これから」なのだから、自分的にはあまり過去に引きづられて感傷的になりたくないな、と思ったのです。きっと行く前に当時の本なんか読んでしまうと「こわい!」という気持ちでいっぱいになってしまって、カンボジアに着いても「ここでああいうことがあったんだ~」「あの人はポルポト時代どうしてたのだろう」とよく言えば好奇心、悪く言えば先入観でいっぱいになって、どうしても色眼鏡で物事を見てしまうだろうな、と思ったから。
それに一緒に働くスタッフたちの多くは30台前半。ポルポト時代の影響をあまり受けずに育ってきた彼らと同じ感覚を持っておきたいと思ったからです。避けるでもなく固執するでもなく、自然な日々の生活の中での学びにまかせようと思っていました。たぶんカンボジアの若い人もそうやって学んでいくのでしょうから。

そして先日。Ms.A、こと事務局長のAさんを首都に送る車の中で、ローカルスタッフと運転手と4人でカンボジアのある歌手の話をしていました。
運転手:「すっごくいい歌手で国民に愛されていたけど、ポルポトに殺されたんだ」
私:(そうか~、彼の歌を聴くたびにみんなは悲劇を思い出すんだろうな。)
運転手:「僕のお父さんも殺された。6歳のときで僕は覚えていないけど。」
私:(えっ、彼確かまだ30台前半のはず。そうか、親の世代がその世代なんだ。親類が殺されたというのは聞いたことがあるけど、実の親が、というのは初めてだな。)
私:「お父さんの職業は?」
運転手:「professer」
Aさん:「えっ?producer?」
運転手:「違うよ、プロフェッサー(大学教授)!」
スタッフK:「Aさん、プロデューサー(農業生産者)だったら殺されないよ!」
一同大爆笑。

Aさん、どうも毎日毎日「プロデューサー」という言葉を仕事で使っているうちにそう聞こえてしまったらしいです。
というわけで深刻な話題のはずがなぜか笑いで終わり、また車の中では次の話題に移っていきました。
そう、ポルポト時代には文化人やインテリが殺されたんだよな~。
でも少なくても若い世代はその時代のことを笑い飛ばすこともできる。それにはなんとなく救われた気持ちになりました。
(M)



カテゴリー: 日々日常
著者: ivy
IVYの活動地、スバイリエン州は地図で見ていただければお分かりの通り、突き出した形でベトナムに接している。
首都プノンペンまで3時間かかるのに、ベトナム国境には45分で着いてしまう。
このベトナム国境の町、バベットが今すごいことになっている。
「カジノとかがあるのよ」とは聞いていたが、正直スバイリエンにカジノとは想像できなかった。
しかし本当に存在したのである。何もない田舎道を走り続けて30分もすると、ど~んとこの地区の開発をうたう大きな看板が出現。その名も「マンハッタン(スバイリエン)」!(このネーミングには昔マンハッタンに実際に住んでいたことがある身にはなにやら因縁じみていて、見るたびに苦笑いしてしまう。)
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不毛の地に突然現れるカジノ、バベット。ここではここ数年で主に中華系資本らしいがすごい勢いで開発が進んでいる。工場が続々と立てられ、国内、国外の富裕層を対象にしたカジノやホテルが建築ラッシュを迎えている。周りの農民たちは土地を売却したことで一儲けし、いかにも「お金が入りました!」的な豪勢な家が次々と建てられている。しかし耕す人がいなくなった周りの農地は時おり牛が放牧されているだけで、人気もない。ここでは田んぼも見られない。
一方この町の市場で売られているのは99%がベトナムの野菜で売り手もベトナム人、行きかうお金さえもベトナム貨幣。
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工場やカジノは確かに雇用を生み出す。事務所の掃除をしてくれるパートのおばさんの子供4人のうち二人はここで働いている。もちろん農村からの出かせぎも多い。
スバイリエンは将来農村地ではなく、バベットに安い労働力を供給し、バベットに依存するだけの地になってしまうのではないだろうか。スバイリエンの人たちは将来スバイリエンがどうなって欲しいのだろう。帰り道、車からもの寂しい農村の風景を見ながら複雑な気持ちになった。 (M)

02月01日: 「感無量」

カテゴリー: 日々日常
著者: ivy
IVY試験農場
先日IVYにとってはなつかしい訪問者がありました。2003年7月から3年間に渡って行なわれた「持続可能な農業を通じた女性による農村開発プロジェクト」の農業マネージャーだったYさん(現在はJICAのフィールド調整員)がカンボジアに赴任した海外青年協力隊の村落開発員の若者三名を引率して、離任以来初めてスバイリエンを訪れたのです。町や村のいろいろな光景や人を見てはしきりになつかしがっていました。
前任者からの正式な引継ぎがないまま突然ここにやってきた私は「前にいた人たちはよく3年もこんなところにいたなぁ」と正直言うと内心思っていました。でもYさんのなつかしぶりや思い出話を聞くと「そんなに悪いところでもないかも」と思えてきました。ここで3年近く、大きなプロジェクトに関わってきたYさんがその3年間を振り返る言葉には一言一言に重みがありました。彼女や当時のプロジェクト・マネージャーらがときに迷い、悩みながら三年間様々な努力を積み重ねてきた。だから充実感を持ってその時代をふりかえることができるんだろうな、と思いました。
特に印象に残ったのが、村で組合の代表の女性たちが集まってミーティングをしている様子を視察していたときのYさんの言葉でした。野菜の出荷量や収益、またその中からの組合への積立額などを村ごとに代表の女性が20人ほどの参加者の前で発表し、また技術指導担当者の女性がたい肥づくりのデモストレーションなどをしていました。女性たちの生き生きした様子を見ているだけで、IVYの農村での活動がうまくいっているんだな、よかったな、と思える瞬間です。前プロジェクトでは女性の組織化が主な活動でしたからYさんには見慣れた光景かと思いきや、その様子を見ていた彼女がしばらくして「感無量だな~」とつぶやいたのです。Yさんの時代は組織化は出来たけれども見える形でその成果が出せなかった。けれど今や女性たちは売上げの数字を話している。野菜出荷というビジネスを通して、ようやくその成果が見える形で出てきたのです。今のこの女性たちの活躍は、Yさんたちが三年間苦労して作った土壌の上にようやく生まれでた芽なんだな、そう思うとその言葉を聞いた私の方も「感無量」でした。
Yさんたちの時代に培われた農村の女性のエンパワーメント。後からやってきた私はついついその上にあぐらをかいてしまいがち。でもYさんらの三年間の重さに思いをはせ、改めて引き継ぐ者の責任の重さを感じた一日でした。
たい肥づくりの説明をする女性組合員

01月23日: 事務所の紹介

カテゴリー: 日々日常
著者: ivy
日本から持ってきたデジカメの充電機をそのままコンセントに差し込んでいたら「バチっ」と小さな爆発音が。
先週プノンペンでこちら仕様の充電機を買ってきたのでようやくカメラ復活です。

まず12月末に引っ越したばかりの新しい事務所。一軒家を借り切って、一階が事務所、二階は会議室とゲストルーム。私は現在のところ二階に住んでいます。

外見はけばく、中はちゃちい典型的なスタイルです。とうとうネズミが出没しました!


ニュースレターを置きました。現地スタッフもけっこう見ています。


朝7:30から夜9時ごろまでこうやってパソコンに向って、一日事務所から出ない日も。。
(M)