10月10日: 女性組合の女性たち

国際支援という形もいろいろあるけれど、個人的に農村開発というフィールドを選んで本当によかったな、と最近よく思います。農村開発で実際現場の最前線に立つのは現地人スタッフ。日本人スタッフはマネジャーとしていろいろな権限を持ってはいるものの、結局は裏方なんだと思っています。私はこの「裏方」というのがけっこう好きだし、性にもあっているんじゃないかと思っています。自分が直接農村の女性たちとコミュニケーションをするよりも、スタッフがやり取りする様子を観察する方に興味があります。(もちろん言葉ができない、というのも大きな理由ですが。)
それでも日本人だ、というだけで目立つ存在であることは変わりはありません。昨日ちょっと驚いた出来事がありました。IVYの活動歴が長く私が二度目に足を運んだ村で、女性組合のおばちゃんが自分から積極的に私に話しかけてきたのです。「彼女(この日本人)はこうなの?ああなの?」とスタッフに聞いてくるのではなく、私の目の前に腰掛け、「私に」直接話しかけてきます。いつカンボジアに来たのか、カンボジアでの生活は好きか、日本でも田植えはあるのか、等々。。
なぜこういう姿が私にとって「驚き」なのか。相手に興味を持って質問する。当たり前のようですが、これは対等なコミュニケーションの取り方なんではと思います。実は私はカンボジアに来る前にカリブにある西半球最貧国ハイチの農村に何度か足を運んでいました。そこの農村では外国人の支援が入ったことはなく、車の通る道からは1時間ほど山道をのぼったところにあり、本当に原始的な生活が営まれていました。ここでは住民はみな一歩下がって外国人である私(たち)を取り囲んでいました。私は片言の現地語を話せたのですが、自分から私に話しかけてくる住民はほとんど皆無でした。唯一声をかけられた記憶といえば、みなの見ていないところでこっそりものをねだられたときぐらいでした。つまりそこには対等な人間関係は存在しなかったのです。またミーティングをしても、常にしゃべる特定の男性がスピーチをして、女性たちは押し黙っているというケースが多かったです。
ところがIVYの活動地に来てびっくりしました。まあなんと女性たちがおしゃべりの好きなこと。ジョークや笑いが飛び交い、ミーティングが始まってもたいていはその雰囲気は続いています。またIVYスタッフとも友達のような雰囲気です。スタッフも参加者が集まるまでの待ち時間に農家の家のハンモッグで昼寝をしたり、家の中でテレビを見たり(!)終始リラックスしています。
そういえばこの私に質問してきた女性の村は一回目に足を運んだときに私が挨拶のスピーチで「野菜作りにぜひ旦那さんの協力も得てください」と言ったら「旦那がいない人はどうすんの」と言われて笑いを取られた場所でもありました。日本人のプロジェクトマネジャーのスピーチに突っ込みを入れる。これは本当に対等意識がないとできないことだと思います。日本人をたじたじにさせるぐらいエンパワーされた農村の女性。これほど頼もしいものはないんではないでしょうか。
カンボジア人女性はもともと明るいのか、何か他に成功要因があるのか、なぜこんなにもハイチと違うのか、その答えはまだ出ていません。カンボジアを離れる前に何か答えが見つかればいいなと思っています。
(写真:いつも明るい女性組合のメンバーたち。去年の研修から。)
08月30日: アフガンのニュース、そして支援のあり方
アフガニスタンで長年活動をしているペシャワール会の駐在スタッフが、拉致され殺害された。宮城県はペシャワール会とゆかりがある。殺害された伊藤さんは農業担当だったのだが、彼の前任者は宮城県大河原出身の橋本さんという方で、帰国してからもペシャワール会の活動のお話をあちこちでしていらっしゃった。彼の帰国をきっかけに「宮城からペシャワール会を支える会」(間違っていたらごめんなさい)も立ち上がり、会の代表の中村哲さんも講演に来られていた。関係者一同たいへんショックを受けられていると思う。心からお悔やみ申し上げます。
私も未だショックから立ち直っていない。あれだけ住民から信頼を得ていたペシャワール会でさえ「外国人」ということでターゲットになったこと。厳しい環境の中現地に同化し、身をささげてきた31歳の若者の無念。考えれば考えるほどやりきれない思いが煮え返ってくる。そんな中、関連ニュースを開いているとふと目に止まる記事があった。
「(タリバンの)報道官は、拉致を命じた理由として、『ダム建設を中止させ、外国政府にアフガン政府と米国支援をやめるよう求めるつもりだった』とした。また、ペシャワール会については『知っている』としながらも、『我々は米や小麦、食用油など食糧支援は認めるが、道路や学校、ダムなど地形や文化を変える構造物は認めない』とし、地元住民に歓迎されてきたペシャワール会の復興支援事業そのものを否定した。」
私がペシャワール会のことを知り始めたのは、たぶん5~6年前、ちょうど水路建設が始まったときだった。それまで井戸掘りというイメージだったペシャワール会がインフラ整備に大きく転換したという感じがして、内心「あれ?」と思った。確かに井戸一つ苦労して掘ったところで一家庭が助かるだけで、住民に公平には行き渡らない。地域全体に水を行き渡らせるためには水路を作ることが必要だった。結果としてこの事業はすばらしい成果を生み出したと思うのだが、私の心の隅に少しだけ違和感が残っていたのを覚えている。「地形を変える構造物は認めない」というタリバンの言い分はめちゃくちゃなのは分かっている。何せバーミャンの仏像を破壊してしまうぐらい、理解不能な論理でもって動いている(ように見える)人たちなのだから。(皮肉なことにペシャワール会はタリバンに同情的だった。)でもダムを作る外国人に対して「ありがたい」と思う住民がいる一方、違和感を感じる人たちがその国にいるということは分からないでもない。人間には自立心やプライドというものがあって、個人的なレベルの差はあるだろうが、何でもかんでも他の人にやってもらうのは不快に感じるのだと思う。私は自分がそうだから余計他人のそういう気持ちが分かる。
さて場所変わってIVYはどうだろうか。IVYがスバイリエンで活動を始めて9年になる。活動地に足を運んだことがある人なら分かると思うが、村には「IVYが建てた」とか「IVYが作った」とか言う建物や学校、道や水路はない。あるとすれば道沿いに植えられた木や村の共同井戸ぐらい。これはとてもめずらしいことだと思う。そして私はそれを誇りに思っている。「IVYは何もくれない」「IVYはけちだ」「IVYは謎めいている」・・。これまでには住民に散々なことを言われていた時期もあったと思う。でもそういう声はもう聞かれなくなった。今は「IVYにずっといて欲しい」という声をよく聞く。
どこまで支援をするのか。どこまで助けるのか。その線引きは難しい。でも子育てでも望むことを全てかなえるのがその子のためにならないのと同じように、時には「何もしない」という選択もあるのかな、と最近考え始めている。昨日のスタッフ会議でも野菜共同出荷グループ内のルールに関する些細な問題が話題になったが、あえてIVYのスタッフが新たなルールを作るという選択肢は取らなかった。私たちが問題を解決してしまえば、住民たちには一生自分たちで問題を解決する力がつかないだろう。時にはぐっとこらえて忍耐強く見守る。そういう関わりも方も今後は取り入れていきたい。
(M)
私も未だショックから立ち直っていない。あれだけ住民から信頼を得ていたペシャワール会でさえ「外国人」ということでターゲットになったこと。厳しい環境の中現地に同化し、身をささげてきた31歳の若者の無念。考えれば考えるほどやりきれない思いが煮え返ってくる。そんな中、関連ニュースを開いているとふと目に止まる記事があった。
「(タリバンの)報道官は、拉致を命じた理由として、『ダム建設を中止させ、外国政府にアフガン政府と米国支援をやめるよう求めるつもりだった』とした。また、ペシャワール会については『知っている』としながらも、『我々は米や小麦、食用油など食糧支援は認めるが、道路や学校、ダムなど地形や文化を変える構造物は認めない』とし、地元住民に歓迎されてきたペシャワール会の復興支援事業そのものを否定した。」
私がペシャワール会のことを知り始めたのは、たぶん5~6年前、ちょうど水路建設が始まったときだった。それまで井戸掘りというイメージだったペシャワール会がインフラ整備に大きく転換したという感じがして、内心「あれ?」と思った。確かに井戸一つ苦労して掘ったところで一家庭が助かるだけで、住民に公平には行き渡らない。地域全体に水を行き渡らせるためには水路を作ることが必要だった。結果としてこの事業はすばらしい成果を生み出したと思うのだが、私の心の隅に少しだけ違和感が残っていたのを覚えている。「地形を変える構造物は認めない」というタリバンの言い分はめちゃくちゃなのは分かっている。何せバーミャンの仏像を破壊してしまうぐらい、理解不能な論理でもって動いている(ように見える)人たちなのだから。(皮肉なことにペシャワール会はタリバンに同情的だった。)でもダムを作る外国人に対して「ありがたい」と思う住民がいる一方、違和感を感じる人たちがその国にいるということは分からないでもない。人間には自立心やプライドというものがあって、個人的なレベルの差はあるだろうが、何でもかんでも他の人にやってもらうのは不快に感じるのだと思う。私は自分がそうだから余計他人のそういう気持ちが分かる。
さて場所変わってIVYはどうだろうか。IVYがスバイリエンで活動を始めて9年になる。活動地に足を運んだことがある人なら分かると思うが、村には「IVYが建てた」とか「IVYが作った」とか言う建物や学校、道や水路はない。あるとすれば道沿いに植えられた木や村の共同井戸ぐらい。これはとてもめずらしいことだと思う。そして私はそれを誇りに思っている。「IVYは何もくれない」「IVYはけちだ」「IVYは謎めいている」・・。これまでには住民に散々なことを言われていた時期もあったと思う。でもそういう声はもう聞かれなくなった。今は「IVYにずっといて欲しい」という声をよく聞く。
どこまで支援をするのか。どこまで助けるのか。その線引きは難しい。でも子育てでも望むことを全てかなえるのがその子のためにならないのと同じように、時には「何もしない」という選択もあるのかな、と最近考え始めている。昨日のスタッフ会議でも野菜共同出荷グループ内のルールに関する些細な問題が話題になったが、あえてIVYのスタッフが新たなルールを作るという選択肢は取らなかった。私たちが問題を解決してしまえば、住民たちには一生自分たちで問題を解決する力がつかないだろう。時にはぐっとこらえて忍耐強く見守る。そういう関わりも方も今後は取り入れていきたい。
(M)
07月26日: Party, rich. Goverment, poor!?

5月ぐらいから昼間に与党人民党のカラーのブルーのユニフォームを来た人たちが集まる政党の集会を村のあちこちで見かけるようになり、各家庭の玄関先には人民党の旗がはためくようになった。
この集会、参加者は米やらなにやらいろいろ支給されるそうで、IVYの活動とバッティングしてしまうと住民はそちらに行ってしまう。プロジェクト説明会に欠かせない村長も政党活動で忙しく、「選挙が終わってからにしてくれないか」と言ってくる始末。
国連の選挙監視団が来ているが、今回は暴動や暴力沙汰も少ないようでとりあえず大きな混乱はないよう。(ただし先週野党派の新聞記者が何者かに殺された。)1993年の選挙では野党の活動家が100人殺されたというから、カンボジアの選挙の歴史は思わしくない。
村の木には投票も終わっていないのに「○○さん、当選おめでとう」というポスターが貼られ、既に与党の圧勝は決まったようなもの。とにかくすごい選挙活動の力の入れようなのである。特にIVYの活動地の某村では前回与党への人民党への投票率が低かったとかで、かなり今回は力を入れているらしい。
しかしなんとなくしっくりこない。みな役人が汚職され、公務員の給料は低いのにお城のような家を建てているのを知っているはず。与党に不満はないのだろうか。プノンペンに住んでいる人たちは週末故郷に戻って投票するのだが、このタクシー代も政党のメンバーには政党が出すという。どういうことだ!? カンボジアは貧しいはずなのにどこからそんな資金があるんだ?
スタッフに問いただすと「Party, rich. Goverment, poor(政党にはお金があって、政府にはお金がない)」とのこと。なるほど、なかなか的を得た答え。
しかしこれではカンボジアの発展は見込めそうにない。
そして国民が目先の米や物品にまどわされて投票するのであれば、やはりこれも未来は明るいとは言えないだろう。
写真:スバイリエンの州都を出発する与党人民党の選挙ツアーの車。「若い参加者が多いね」とスタッフに言ったら「若い男女が出会いを目的に参加する」のだとか。
