06月04日: 日本で考えたこと
ご無沙汰しておりました。
先月は8ヶ月ぶりに日本に帰っておりました。相変わらず高いビルを見上げると理由もなく緊張し、初めて「パスモ」を使って改札口で「ピッ」というのを体験して「かっこいい~!」と内心感激したりして田舎者になりつつある自分を実感しました。
ところでそんな「先進的」な日本であるはずなのに、いざ新聞を広げるとカンボジアと同じ問題を抱えているのには驚きました。
貧困の問題です。
日本は密室で進行しているため、表に見えないのがかえってやっかいなように感じました。隣の家の人が、一日おにぎり一個しか食べていないかもしれない、母子家庭でお母さんが二つも三つも仕事が抱えているかもしれない、子どもが進学や修学旅行をあきらめているかもしれない。カンボジアで日々どうしたら貧しい農村の家庭の収入が向上するか考えることを仕事としている私にとって、日本の貧困は他人事ではない、まさに自分の国のこと。
そんな気持ち悪い気持ちを抱えているところまた目にするのが「カンボジアに学校を建てよう!」というブーム(?)。(どうもあるテレビ番組が影響しているようです。)私は1年5ヶ月カンボジアに住んでいますが「学校を建てて欲しい」「学校が足りない」という声は一度も直接耳にしたことがありません。
なにかアンテナの張り方がおかしいのでは、という気持ちを抱えながら地元仙台で行われた国際協力セミナー「カンボジアの農村の現場から」の発表に向かいました。事業報告の後でグループに別れ、IVY理事のファシリテートで「日本人はなぜ国際協力するのか」というテーマについて話し合いました。
県外からもたくさんの大学生が参加してくれてその熱心さには感心しましたが、若い人に限って国際協力がなぜ必要なのか説明はできず、とにかくしたいからする、感謝されると気分がいいからする、という「気持ち」が中心なのが気になりました。
いや、気持ちでもいいのかもしれません。きっかけは。私だってそうだったのかもしれません。でも学校を建てることで何かいいことを「してあげた」という自己満足に陥ると、そこで本質的な問題は見えなくなってしまうような気がします。若い人にはカンボジアの貧困を救いたいと思っているなら、まず「貧困」に対して敏感な人間になってもらいたいと思います。
貧困はカンボジアだけの問題ではありません。カンボジアの貧困はみんなが考えているほど深刻なわけではないと私は思います。家がなくて路上で暮らしていても凍死することはないし、職を失って実家に帰っても、どのみち大家族で暮らしているのでひとり増えてもあまり影響はありません。農村では電気はきてないけど、バッテリーを使ってテレビで毎日連続ドラマを見ています。
日本を出てしまっている私が言うのもなんですが、自分の国の貧困問題を解決できない人たちが、他の国に行って何かできるのでしょうか。それがまさに私も苦労している理由でもあるかもしれませんが、少なくても私は迂往曲折あったものの、10年日本で社会人をしてきてその経験を今ここでも生かしていると感じています。
まず自分のコミュニティーで役に立つ大人になること、それから海外で役に立つ一人の日本人になることを目指して欲しいな、と思いました。
(M)
先月は8ヶ月ぶりに日本に帰っておりました。相変わらず高いビルを見上げると理由もなく緊張し、初めて「パスモ」を使って改札口で「ピッ」というのを体験して「かっこいい~!」と内心感激したりして田舎者になりつつある自分を実感しました。
ところでそんな「先進的」な日本であるはずなのに、いざ新聞を広げるとカンボジアと同じ問題を抱えているのには驚きました。
貧困の問題です。
日本は密室で進行しているため、表に見えないのがかえってやっかいなように感じました。隣の家の人が、一日おにぎり一個しか食べていないかもしれない、母子家庭でお母さんが二つも三つも仕事が抱えているかもしれない、子どもが進学や修学旅行をあきらめているかもしれない。カンボジアで日々どうしたら貧しい農村の家庭の収入が向上するか考えることを仕事としている私にとって、日本の貧困は他人事ではない、まさに自分の国のこと。
そんな気持ち悪い気持ちを抱えているところまた目にするのが「カンボジアに学校を建てよう!」というブーム(?)。(どうもあるテレビ番組が影響しているようです。)私は1年5ヶ月カンボジアに住んでいますが「学校を建てて欲しい」「学校が足りない」という声は一度も直接耳にしたことがありません。
なにかアンテナの張り方がおかしいのでは、という気持ちを抱えながら地元仙台で行われた国際協力セミナー「カンボジアの農村の現場から」の発表に向かいました。事業報告の後でグループに別れ、IVY理事のファシリテートで「日本人はなぜ国際協力するのか」というテーマについて話し合いました。
県外からもたくさんの大学生が参加してくれてその熱心さには感心しましたが、若い人に限って国際協力がなぜ必要なのか説明はできず、とにかくしたいからする、感謝されると気分がいいからする、という「気持ち」が中心なのが気になりました。
いや、気持ちでもいいのかもしれません。きっかけは。私だってそうだったのかもしれません。でも学校を建てることで何かいいことを「してあげた」という自己満足に陥ると、そこで本質的な問題は見えなくなってしまうような気がします。若い人にはカンボジアの貧困を救いたいと思っているなら、まず「貧困」に対して敏感な人間になってもらいたいと思います。
貧困はカンボジアだけの問題ではありません。カンボジアの貧困はみんなが考えているほど深刻なわけではないと私は思います。家がなくて路上で暮らしていても凍死することはないし、職を失って実家に帰っても、どのみち大家族で暮らしているのでひとり増えてもあまり影響はありません。農村では電気はきてないけど、バッテリーを使ってテレビで毎日連続ドラマを見ています。
日本を出てしまっている私が言うのもなんですが、自分の国の貧困問題を解決できない人たちが、他の国に行って何かできるのでしょうか。それがまさに私も苦労している理由でもあるかもしれませんが、少なくても私は迂往曲折あったものの、10年日本で社会人をしてきてその経験を今ここでも生かしていると感じています。
まず自分のコミュニティーで役に立つ大人になること、それから海外で役に立つ一人の日本人になることを目指して欲しいな、と思いました。
(M)
