特定非営利活動法人国際ボランティアセンター山形

山形IVY スタッフ便り

11月07日: 水祭り

カテゴリー: 日々日常
著者: ivy
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11月からはそろそろ乾季に入るというのに、毎日バケツをひっくり返したような雨が降ります。
今日はプロジェクトを離れて事務所のあるスバイリエンタウンの様子をお伝えします。
11月半ばはカンボジアでは「水祭り」といって三日間のお休みがあります。何をするのかというと、プノンペンを流れる川でボートのレースがあるのです。(川といっても向こう岸が遠くに見えるような大河です。)
この期間カンボジア中から人がプノンペンに集まるのでプノンペンはすごい人になるそうです。この三日間、プノンペンの街中には高速バスが乗り入れないとか。
先日スバイリエンで初めてこのボートレースの予選がありました。カンボジア人でもテレビでしか見たことないというボートレースですからこれは見ておこうと私も早速でかけました。しかし途中すごい人。。いつもは車もまばらな国道がこの通り人とバイクと車で一歩も動かない状態。スバイリエンタウンのいつもの人口が何倍にもふくれあがった感じです。
改めて別のルートで川岸にたどりつき、やっとレースを見ることができました。
村対抗だったようで、呼ばれる名前の中にはIVYに縁のある村の名前も。普段農作業で鍛えた身体の男たちが、ぴたりとそろった動きで船をこぐ姿はなかなかりりしかったです。
しかしこの川、スイレンがびっしりと生い茂っていて私の気に入りの散歩コースの一つだったのですが、みごとにみな刈り取られてました。。

(M)

カテゴリー: 日々日常
著者: ivy
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日本に18日間ほど帰っていました。毎日いろいろやることがあって、もうちょっといたいな~と後ろ髪を引かれながらカンボジアに戻ってきました。スーツケースを車に積んだまま、事務所に戻らず、野菜共同出荷事業のリーダー研修の行われている村に直接向かいました。私が離れる前はちょうど田植えの時期でしたが、今は青々とした田んぼがどこまでも広がっていました。村の女性たちのいきいきと様子もいつもどおりでした。久しぶりに見たスタッフも充実したいい顔をしていました。こういう風景を見ると、うん、今はやっぱりここが私のいるべき場所なんだな、と感じます。
ところで今日は事務所に新しい顔が登場しました。コミュニティー開発チームで抜けたスタッフの代わりに、なんと村の女性組合委員(女性組合のリーダー。村に数人いて選挙で選ばれる)の女性をパートタイムのスタッフとして雇うことにしたのです。チャリヤさんといって20代の一児の母です。(写真上、中央)
頭良し、器量よし(というのが私の判断)、性格良し、でスタッフのイチオシで決まりました。受益者が突然支援者になったわけですが、スバイリエンを拠点とするIVYにとってはそんなに驚くようなことではありません。なぜかというと、スタッフの中でも地元の村出身の人が実は多いからです。実は高卒のスタッフもたくさんいます。私の観察では地元、それも農家出身のスタッフは地元のために貢献したいという意志が強く、私自身そういう彼らの気持ちを応援したいな、と感じます。高い能力を武器に高給を求めて仕事を渡り歩くプノンペンのNGOスタッフよりも、愚直な地方のスタッフに私は親しみを感じます。それででは地元で誰か雇える人がいるか、と考えたときに思い浮かんだのが女性組合の委員の女性たちでした。彼女たちの勉強熱心さ、理解能力の高さにはいつも感心させられてきました。もし機会さえあれば、もし時代や状況さえ違ったら、私なんて足元にも及ばない、ものすごい優秀な人材として社会で活躍していたんだろうな、と思われる女性たちが何人かいました。この選択に私に直接ではありませんが、異を唱えるスタッフがいなかったわけではありません。住民は外部者のNGOスタッフの話は聞くけど、同じ住民の話は聞かないのでは、と。でも本当にそうでしょうか。そしてもしそれが本当だとしたらそれでいいのでしょうか。実際今週の研修でそれを試す機会がありました。初めに野菜共同出荷活動が始まった村からマネジャーの女性にゲストとして新しく活動を始める村に来てもらい、話をしてもらいました。みな真剣に彼女の話を聞き、「質問は?」と促すまでもなく、たくさんの質問が投げかけられていました。
さてチャリヤさんの事務所出勤の初日。お昼はどうするのかしら、と思って他のスタッフに確認すると「彼女のお父さんが来ているから」と言う。なんと女性が初出勤するときは、最初の数日は父親が送り迎えするそうだ。「カンボジアではそういう文化なのよ。私もそうだった」と女性スタッフ。なんと過保護!変な男に目をつけられたりしないように、ちゃんと父親が見張ってるぞ、ということを示しているのだろうか。
そう、チャリヤさん、ちゃんと挨拶で「地元に貢献したい」と言っていました。スタッフの話では、出稼ぎだと村を離れないといけないけど、IVYで働けば村を離れずに同じかそれ以上の収入を得れるので、家族も喜んでいるとのこと。たった一人ではあるけれど、村に雇用も生み出したことになるんですね。能力があればNGOのスタッフにもなれるんだ、と農村の女性たちが思ってくれる、そんなロールモデルにチャリヤさんがなってくれればいいな、と思っています。早速携帯電話も購入し、英語も習い始めたそうです。やる気まんまんですね。
(M)
カテゴリー: 日々日常
著者: ivy
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女性組合のリーダー研修を視察してきた。
朝8時半から午後3時半までの研修5日間に付き合うのは私にとって少ししんどい。ビニールシートをひいたコンクリートの上に長時間座っているとお尻と腰が痛くなるし、農村では頻繁にトイレに行きにくいので水分を取るのもひかえめにしないといけない。しかもこの研修は今回の野菜共同生産・出荷プロジェクトには直接関係していない。それでも研修を見てみたいと思ったのはわけがある。1999年から始まったIVYのスバイリエン州における活動の最大の功績と言えるのが女性組合とその組合の委員たちの女性。この人材がどうやって育成されていくのか見ておかなければIVYの活動について語れない、カンボジアの農村の女性たちについて語れないと思ったからである。
一日目の研修はリーダーについてとファシリテーションについて。
リーダー、つまり女性組合の委員になる素質や資格について、グループディスカッションする場面があった。
あるグループの発表で、「自分たち、自分たちのコミュニティーを信じること」という発言があった。
「どういう意味ですか?」とスタッフを通して聞いてみた。
一人のおばさんが立ち上がって私に向かって説明した。「自分たちのコミュニティーが発展していくと自分たちで信じることができなければいけない。希望を持つこと。そして自分たちにその能力があると信じること。」
つまりhave faith in ourself,in our communityということですね。英語で言うと。もしくはpositivity。大事なことです。
しかしこれを聞いてドキっとした。農民たち自身の可能性を信じること。これってNGOスタッフである自分たちもしていただろうか。「どうせあの村は何をやってもだめだ」とか「農民には無理」とかそんな会話が事務所では時折飛び交っているのは否定のできない事実だ。自分に目を向けると「カンボジア人には無理」「カンボジアはどうせダメだよね」と彼らの聞こえないところで本気では思っていないにしろ、日本人の間でつい口がすべって言ってしまったりしてなかったか?
でも本当に必要なのは、本当に欲しかったのは、彼(女)らが自分たちの力でなんとかしようと思うこと。そのためには彼(女)らが自分たちの能力を信じなければいけない。希望という名の木は彼(女)ら自身が植えなければいけない。私たちのできることはその木に水をやることでしかないのだから。
その場にいた参加者やスタッフは普通にふむふむと聞いていたが、私は自分の母ぐらいの歳のその叔母ちゃんの発言の意味の深さにいたく感じ入っていた。
最近仕事にも少し慣れてきて天狗になっていたかもしれない。おばちゃんたちから、また学ばさせてもらいました。

(写真:昼食はみんなで持ち寄った手料理を囲みます。私が食べてるのを見ると喜んでくれます。)
(M)
カテゴリー: 日々日常
著者: ivy
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国際支援という形もいろいろあるけれど、個人的に農村開発というフィールドを選んで本当によかったな、と最近よく思います。農村開発で実際現場の最前線に立つのは現地人スタッフ。日本人スタッフはマネジャーとしていろいろな権限を持ってはいるものの、結局は裏方なんだと思っています。私はこの「裏方」というのがけっこう好きだし、性にもあっているんじゃないかと思っています。自分が直接農村の女性たちとコミュニケーションをするよりも、スタッフがやり取りする様子を観察する方に興味があります。(もちろん言葉ができない、というのも大きな理由ですが。)
それでも日本人だ、というだけで目立つ存在であることは変わりはありません。昨日ちょっと驚いた出来事がありました。IVYの活動歴が長く私が二度目に足を運んだ村で、女性組合のおばちゃんが自分から積極的に私に話しかけてきたのです。「彼女(この日本人)はこうなの?ああなの?」とスタッフに聞いてくるのではなく、私の目の前に腰掛け、「私に」直接話しかけてきます。いつカンボジアに来たのか、カンボジアでの生活は好きか、日本でも田植えはあるのか、等々。。
なぜこういう姿が私にとって「驚き」なのか。相手に興味を持って質問する。当たり前のようですが、これは対等なコミュニケーションの取り方なんではと思います。実は私はカンボジアに来る前にカリブにある西半球最貧国ハイチの農村に何度か足を運んでいました。そこの農村では外国人の支援が入ったことはなく、車の通る道からは1時間ほど山道をのぼったところにあり、本当に原始的な生活が営まれていました。ここでは住民はみな一歩下がって外国人である私(たち)を取り囲んでいました。私は片言の現地語を話せたのですが、自分から私に話しかけてくる住民はほとんど皆無でした。唯一声をかけられた記憶といえば、みなの見ていないところでこっそりものをねだられたときぐらいでした。つまりそこには対等な人間関係は存在しなかったのです。またミーティングをしても、常にしゃべる特定の男性がスピーチをして、女性たちは押し黙っているというケースが多かったです。
ところがIVYの活動地に来てびっくりしました。まあなんと女性たちがおしゃべりの好きなこと。ジョークや笑いが飛び交い、ミーティングが始まってもたいていはその雰囲気は続いています。またIVYスタッフとも友達のような雰囲気です。スタッフも参加者が集まるまでの待ち時間に農家の家のハンモッグで昼寝をしたり、家の中でテレビを見たり(!)終始リラックスしています。
そういえばこの私に質問してきた女性の村は一回目に足を運んだときに私が挨拶のスピーチで「野菜作りにぜひ旦那さんの協力も得てください」と言ったら「旦那がいない人はどうすんの」と言われて笑いを取られた場所でもありました。日本人のプロジェクトマネジャーのスピーチに突っ込みを入れる。これは本当に対等意識がないとできないことだと思います。日本人をたじたじにさせるぐらいエンパワーされた農村の女性。これほど頼もしいものはないんではないでしょうか。
カンボジア人女性はもともと明るいのか、何か他に成功要因があるのか、なぜこんなにもハイチと違うのか、その答えはまだ出ていません。カンボジアを離れる前に何か答えが見つかればいいなと思っています。

(写真:いつも明るい女性組合のメンバーたち。去年の研修から。)
カテゴリー: 日々日常
著者: ivy
アフガニスタンで長年活動をしているペシャワール会の駐在スタッフが、拉致され殺害された。宮城県はペシャワール会とゆかりがある。殺害された伊藤さんは農業担当だったのだが、彼の前任者は宮城県大河原出身の橋本さんという方で、帰国してからもペシャワール会の活動のお話をあちこちでしていらっしゃった。彼の帰国をきっかけに「宮城からペシャワール会を支える会」(間違っていたらごめんなさい)も立ち上がり、会の代表の中村哲さんも講演に来られていた。関係者一同たいへんショックを受けられていると思う。心からお悔やみ申し上げます。
私も未だショックから立ち直っていない。あれだけ住民から信頼を得ていたペシャワール会でさえ「外国人」ということでターゲットになったこと。厳しい環境の中現地に同化し、身をささげてきた31歳の若者の無念。考えれば考えるほどやりきれない思いが煮え返ってくる。そんな中、関連ニュースを開いているとふと目に止まる記事があった。

「(タリバンの)報道官は、拉致を命じた理由として、『ダム建設を中止させ、外国政府にアフガン政府と米国支援をやめるよう求めるつもりだった』とした。また、ペシャワール会については『知っている』としながらも、『我々は米や小麦、食用油など食糧支援は認めるが、道路や学校、ダムなど地形や文化を変える構造物は認めない』とし、地元住民に歓迎されてきたペシャワール会の復興支援事業そのものを否定した。」

私がペシャワール会のことを知り始めたのは、たぶん5~6年前、ちょうど水路建設が始まったときだった。それまで井戸掘りというイメージだったペシャワール会がインフラ整備に大きく転換したという感じがして、内心「あれ?」と思った。確かに井戸一つ苦労して掘ったところで一家庭が助かるだけで、住民に公平には行き渡らない。地域全体に水を行き渡らせるためには水路を作ることが必要だった。結果としてこの事業はすばらしい成果を生み出したと思うのだが、私の心の隅に少しだけ違和感が残っていたのを覚えている。「地形を変える構造物は認めない」というタリバンの言い分はめちゃくちゃなのは分かっている。何せバーミャンの仏像を破壊してしまうぐらい、理解不能な論理でもって動いている(ように見える)人たちなのだから。(皮肉なことにペシャワール会はタリバンに同情的だった。)でもダムを作る外国人に対して「ありがたい」と思う住民がいる一方、違和感を感じる人たちがその国にいるということは分からないでもない。人間には自立心やプライドというものがあって、個人的なレベルの差はあるだろうが、何でもかんでも他の人にやってもらうのは不快に感じるのだと思う。私は自分がそうだから余計他人のそういう気持ちが分かる。

さて場所変わってIVYはどうだろうか。IVYがスバイリエンで活動を始めて9年になる。活動地に足を運んだことがある人なら分かると思うが、村には「IVYが建てた」とか「IVYが作った」とか言う建物や学校、道や水路はない。あるとすれば道沿いに植えられた木や村の共同井戸ぐらい。これはとてもめずらしいことだと思う。そして私はそれを誇りに思っている。「IVYは何もくれない」「IVYはけちだ」「IVYは謎めいている」・・。これまでには住民に散々なことを言われていた時期もあったと思う。でもそういう声はもう聞かれなくなった。今は「IVYにずっといて欲しい」という声をよく聞く。
どこまで支援をするのか。どこまで助けるのか。その線引きは難しい。でも子育てでも望むことを全てかなえるのがその子のためにならないのと同じように、時には「何もしない」という選択もあるのかな、と最近考え始めている。昨日のスタッフ会議でも野菜共同出荷グループ内のルールに関する些細な問題が話題になったが、あえてIVYのスタッフが新たなルールを作るという選択肢は取らなかった。私たちが問題を解決してしまえば、住民たちには一生自分たちで問題を解決する力がつかないだろう。時にはぐっとこらえて忍耐強く見守る。そういう関わりも方も今後は取り入れていきたい。
(M)
カテゴリー: 日々日常
著者: ivy
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5月ぐらいから昼間に与党人民党のカラーのブルーのユニフォームを来た人たちが集まる政党の集会を村のあちこちで見かけるようになり、各家庭の玄関先には人民党の旗がはためくようになった。
この集会、参加者は米やらなにやらいろいろ支給されるそうで、IVYの活動とバッティングしてしまうと住民はそちらに行ってしまう。プロジェクト説明会に欠かせない村長も政党活動で忙しく、「選挙が終わってからにしてくれないか」と言ってくる始末。
国連の選挙監視団が来ているが、今回は暴動や暴力沙汰も少ないようでとりあえず大きな混乱はないよう。(ただし先週野党派の新聞記者が何者かに殺された。)1993年の選挙では野党の活動家が100人殺されたというから、カンボジアの選挙の歴史は思わしくない。
村の木には投票も終わっていないのに「○○さん、当選おめでとう」というポスターが貼られ、既に与党の圧勝は決まったようなもの。とにかくすごい選挙活動の力の入れようなのである。特にIVYの活動地の某村では前回与党への人民党への投票率が低かったとかで、かなり今回は力を入れているらしい。
しかしなんとなくしっくりこない。みな役人が汚職され、公務員の給料は低いのにお城のような家を建てているのを知っているはず。与党に不満はないのだろうか。プノンペンに住んでいる人たちは週末故郷に戻って投票するのだが、このタクシー代も政党のメンバーには政党が出すという。どういうことだ!? カンボジアは貧しいはずなのにどこからそんな資金があるんだ?
スタッフに問いただすと「Party, rich. Goverment, poor(政党にはお金があって、政府にはお金がない)」とのこと。なるほど、なかなか的を得た答え。
しかしこれではカンボジアの発展は見込めそうにない。
そして国民が目先の米や物品にまどわされて投票するのであれば、やはりこれも未来は明るいとは言えないだろう。

写真:スバイリエンの州都を出発する与党人民党の選挙ツアーの車。「若い参加者が多いね」とスタッフに言ったら「若い男女が出会いを目的に参加する」のだとか。
カテゴリー: 日々日常
著者: ivy
IVYと言えば女性組合。農村の女性のための支援。
「女性」というのが長い間IVYの活動の顔でした。
現在のプロジェクトも女性組合員が野菜出荷を通して収入向上と女性組合の資金作りを目指す、というもの。
何からなにまで女性、と思いきや、実はこの事業には「彼女らの夫」という影の立役者がいるというのが最近分かってきました。
女性は日々野菜の面倒を見て収穫することはできても、畑の土を耕したり、井戸から水を汲んできたり、有機肥料を作ったりという力仕事はなかなか一人ではできません。
女性が農業研修を受けても、実際家庭で作業するのは夫、というケースが多いらしいのです。そして確かに夫婦で野菜栽培をしているところの方が収穫も多いのです。
また夫が妻の女性組合活動を支えている家庭もあります。乳飲み子を抱えた奥さんが会合に参加できるように旦那さんが家で赤ちゃんの面倒を見て、お腹がすいたときだけ奥さんのところに届けに来て母乳を飲ませ、また赤ちゃんを抱えて自転車で帰っていく、という日本より進んでいる(?)夫婦も見たことがあります。
(このだんなは出産直後の妻の代わりに去年女性組合の研修に唯一参加した男性でした。)
また逆に、夫が妻に「野菜を女性組合に売るな」と言っている、といったケースも出てきました。
「女性のための」という目的で支援をしてきたけど、男性の役割を無視できなくなってきている。さてどうしようか。
では夫もこの際巻き込んでしまおう、というわけで今年度から夫の参加を部分的に認めていくことにしました。
もちろん組合員は女性ですが、説明会や研修に夫婦ともに、もしくは都合が悪くて出席できない妻の代理として夫に出席してもらうことにしました。これは団体として提案する以前に村の住民自身が希望する流れだったようで、特に招待しなくても一部男性が自然に出席するようになってきました。
ただ単に男性にプロジェクトに参加してもらう、というのではなく、男性に女性のためのプロジェクトに参加してもらう。
女性たちのために、男性にも動いてもらおう、という流れになってくれればいいな、と思います。
今のところ、男性が少数派なこともあるのか女性たちの態度はいつもと変わらなく、男性もグループディスカッションなどを楽しんで行っているようです。

(写真)
上:ディスカッションの結果を妻たちの前で発表する男性。
下:プロジェクト説明会に集まった男性たち。中央はIVYスタッフ。

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カテゴリー: 日々日常
著者: ivy
赴任して4ヶ月が過ぎました。私の契約期間の6分の1があっという間に過ぎてしまいました。プロジェクトのこともようやく把握できてきたかな、と思ったところでもう既にプロジェクト自体残すところ約1年半。既に折り返し地点です。ようやく1年目の結果を分析し、今後にどう活かせるのか考え始めたところ。4月、5月と野菜出荷事業参加者の組合員に対して行った調査をもとに、スタッフと毎週のように話し合いをしてきました。
しかしふと思いました。スタッフが野菜の生産量や栽培技術の浸透などを事務所で一生懸命議論しているとき、当の生産者たちはどう考えているのだろうかと。聞けば生産者ミーティングでもリーダーミーティングでも特に一年間のふりかえりや次の年の目標設定はしない、とのこと。それではいくらIVYスタッフががんばっても何も変わらないのでは。野菜を育てるのも売るのもスタッフではなく組合員の女性たち自身なのですから。
で急遽今月は実験村4村で野菜出荷メンバーを集めてふりかえりのワークショップを行うことにしました。4村の月ごとの生産量、販売量、組合への収入(利益の15%)と合計のデータを発表。これにメンバーたちは強く反応しました。4村の結果を一緒に見せることで、彼女らの競争心を刺激したようです。「うちの村は生産量は少ないけど、組合への収入は多いわ!」などと満面の笑みを浮かべて模造紙に書かれた数字を眺めています。自分たちのしていることが数字という結果になって出てくることがきっと新鮮な体験だったのでしょう。
そこで今度は今年度の目標設定。実はプロジェクトの始めにも目標設定、というのはされていました。あるときその数値の書かれていた紙を見つけてびっくり。毎日全体で130キロの出荷とか一年に生産者一人あたり100ドルの収入とか現実とはほど遠い数値が書いてあります。聞いたところIVYのマーケティングチームが作ったとのこと。しかしこの目標に向けた行動はどの村でも取られていません。恐らくこの目標値もスタッフも実際にプロジェクトが始まってしまえば忘却のかなたになってしまっただろうし、組合のメンバーたちも聞いていないか、聞いていても現実感なく右から左に聞き流されてしまったのだと予想されます。しかし今回はこの二の舞は踏めません。
ではどうするか。まず目標というのは誰が設定するものなのか。
個人的なことで恐縮ですが、私は日本で学校に通っていたときに「○○をがんばりましょう」と学校側で決められるのがすごくいやでした。人に言われて何かをがんばった記憶がないひねくれ者でした。何かをしましょう、しなさい、と上から言われると、とたんにそれをする気がなくなるのです。でもアメリカの大学に行ったときに、急に誰も私に○○をしなさい、と言わなくなりました。それには一瞬とまどいましたが、私はすぐに自分で目標設定をし、猛烈に勉強しだしました。そういった経験から言わせてもらうと、人は他人の設定した目標は達成しようという意欲が起きないが、自分で設定した目標に対してはがんばる、ということです。

で、話は村に戻って、村ごとの生産者ミーティングで野菜出荷グループの目標設定とアクションプラン(目標達成のために実際にどうするのか)づくり。みな嬉々として話し合いをしていました。「今年はもっとがんばるんだ」という意欲が顔にあふれています。問題点ばかりクローズアップされてため息や沈黙の多い事務所で行われるスタッフのミーティングとは大違いです。なんだ、やっぱりこれでよかったんだと私も安堵の胸をなでおろしました。
本当に目標値(だいたい前年度の1.5~2倍の数値)が達成されるのかどうか、これはまた別の問題でもあります。気候、土壌の状態、市場価格、種の入手、畑仕事の担い手、彼女たちがコントロールできない様々な要因が関わってきます。でもまず彼女たちのやる気。これがなければいくら種があっても芽は出ないでしょう。ここからが今年度のスタートです。
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(写真:ロムデン村のミーティング。右に立っているのが筆者。)
(M)
カテゴリー: 日々日常
著者: ivy
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一週間のクメール正月休みも終わりました。
スタッフたちもリフレッシュしてきたようです。初日みんなが笑顔でいるのでなんだか私もうれしくなりました。(日本だとゴールデンウィーク明けってなんか憂鬱だった記憶があるのですが。)
相変わらずフィールドには出ず書類の山に囲まれてパソコンに向う日々です。あまりにも作る書類が多いので当然スタッフと分担をします。まかせて私が最終チェックを入れる、というパターンも多々あります。するとレポート作成や分析の力のレベルなどがよく分かります。
これはもちろん個人差があることなのですが、こちらのスタッフ新しい知識を学ぼうとする意欲が非常に高いのには驚かされます。乾いた土の上に降る雨のように、私が伝えたことを吸収していきます。当然私なんかが言うことですから大したことを言っているわけではありません。伝えたことが完全に理解されていないときも多々あります。でも彼らの作っている書類を見て「ああ、そういえばこんなこと教えたっけ」とこちらが思い出すぐらいよく彼らは覚えています。
ミーティングが突然英語の授業になることもしばしば。先日も一人がある言葉の意味について質問してきたので「じゃあミーティングが終わってから個人的に教えるから」と言うと、みんなから一斉に「私も知りたい!」という視線が。そこで急遽英語の授業。こういうときのスタッフは集中力もあり、熱心にノートを取っています。私も英語の先生としてやりがいを感じるひととき。。って職務が違いましたね。失礼しました。
ところで「乾いた土」というぐらいですから、何か新しいアイディアを言うと一瞬彼らは固まります。私にとっては当たり前のことなんですが、何か突拍子もないことを言ってしまったかしら、という気持ちに一瞬なります。
例えば現在のプロジェクトは野菜の共同出荷なので当然出荷量や売上げなどの数字が関わってきます。そのデータを取ってくるのは問題がないのですが、そのデータを見やすいように棒グラフや折れ線グラフでまとめて分析する、という考えが彼らの中にはなかったようです。思うに分析好きの日本人はメディアを通して日常的にこうした分析に触れているのですが、カンボジアの文化の中ではそういった習慣はないようで、これにはかなり難儀しました。しかし私も分析好きの日本人の一人。ここは妥協できません。慣れてもらうしかないと毎月のレポートには必ずグラフを入れるようにみなに伝えました。(みな一瞬こわばってましたが。)
そして二ヶ月。グラフづくりに難儀している状態は変わりませんが、そんなに何種類もいらないんだけど、と思うぐらいレポートがグラフだらけに。。毎月のレポート以外のところでもちらほらグラフを自主的に作っているケースが見られるようになってきました。初めてグラフを用いた資料で分析をさせたとき、内容の分析ではなく「どうやってこのデータを入手したか」というとんちんかんな分析をしてしまったことを考えると大きな進歩です。みなグラフを作って何をどう分析するのか、という考えまではいたっていないようですが、とにかく数字を入力してクリック一つでいろいろなグラフができる楽しさにはまっているようです。今年はIVYではグラフがブーム? (M)
(写真:ある日の会議風景)
カテゴリー: 日々日常
著者: ivy
IVYのマーケティングチームが企画した野菜共同出荷グループの女性たちを12人引き連れてのプノンペン視察に同行したときの話。農村で彼女らに会うことはあっても、一泊の視察旅行で24時間を共にするというのはこれまでなかったので、なかなかおもしろい体験でした。
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一日目朝、バンとプロジェクト・カーで村を出発。まずびっくりしたのが、二名が「車酔い」してしまったこと。それも「気分が悪い」っていうんじゃなくて私の隣の隣で袋に思いっきりもどしてました。酔ってもどす人って、そういうば小学校の遠足とかでいた気がするけど大人になってから聞いたことがなかった。やっぱり車に乗りなれていないとそうなるんでしょうか。でもスタッフのKはなぜか袋とトイレットペーパーをしっかり準備してました。「大丈夫?」と車を止めたりもせず、その二点セットをさっさと本人に渡してそのまま車は走り続けました。そう、車といえば車のドアの開け方、閉め方を知らなかったんですね、彼女たち。日本にいたら子供でも知ってますからね。そこから既に私にはカルチャーショックでした。
あとトイレ休憩。「クロマ」と呼ばれる頭巻き、肩がけ、汗拭き、となんでも使える農民には必需品の木綿の布があるのですが、これを腰にかけて隠して用を足す、ということはなんとなくは聞いていました。農村でも「トイレに行く」というと一枚の布を渡されたりします。でも実際には使っているところは見たことはなかったんですね。で、道中トイレ休憩のために車を止めたのはやぶや木があるわけではない原っぱ。どこから見ても丸見えなんですが、さすが慣れた手つきでさっとこの大きめの布を背中にかけて、あっという間に「簡易トイレ」を作っていました。(本当は最後までどうするのかしっかり見たかったのですが、さすがにそこまでじろじろは見れませんでした。)
一日目はJICAのカンボジア事務所で野菜販売をさせてもらいました。事務所の日本人スタッフ、カンボジア人スタッフ、それからプノンペン駐在のNGOスタッフの方などが買い物していってくださいました。漬物などの加工品も「おいしい」と評判でした。
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売れ残った野菜は地元のNGO、CEDACのお店とレストランで買い取ってもらいました。「持ってきてもらえればいつでも買い取るよ」と言っていただけました。首都での有機野菜の需要は高そうです。出荷グループの女性たちにも首都のお客に売れたことは自信になったんではないでしょうか。夜は彼女とスタッフの売り上げ(約$50!)を数える楽しそうな声がゲストハウスで響いていました。
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二日目はプノンペン最大のスーパーマーケットに野菜売り場の視察に行きました。
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さて、ここでまた思わぬ未知との遭遇。そう、グループの女性たちは首都に来るのが初めて、という人もいるぐらいですから、こんな最先端の(といってもイーオンとかのレベルですが)デパートになんか来たことがないのです。で、大騒ぎになったのがエスカレーター!乗るのも降りるのもこわい!手を取って一緒に乗ってあげましたが、数人は階段を選んでました。でも階段もみんなで手を取り合って降りてましたが。。。
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そこで当然エスカレーターにも初挑戦!でもこれはただ乗ればいいだけなので難しくないですね。
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いろんな「初めて」がありましたが、どうだったんでしょうか。実はみんな村に帰ってきてほっとしたんでは。食事もスーパーのフードマートの食べ物は高いだけでおいしくないし。という私もプノンペンの喧騒を抜けてのどかな風景が広がる農村に戻ってくると「家に帰ってきたんだな」という気持ちになりました。すっかりスバイリエンの人になってしまいました。
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